大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和53年(行ツ)147号 判決

上告人 宮川淑 ほか二名

被上告人 千葉県選挙管理委員会

訴訟代理人 蓑田速夫 菊池信男 緒賀恒雄 玉田勝也 中島尚志 山口三夫 ほか三名

主文

原判決を破棄する。

上告人らの本件訴を却下する。

訴訟の総費用は上告人らの負担とする。

理由

職権をもつて調査するに、上告人らは、本件訴により、昭和五一年一二月五日施行の衆議院議員選挙の千葉県第四区における選挙を無効とする判決を求めるものであるところ、昭和五四年九月七日衆議院は解散せられ、これによつて昭和五一年一二月五日施行の選挙の効力はすべて将来に向つて失われたから、上告人らの本件訴はその法律上の利益を失うに至つたものというべく、却下せざるをえない。それ故、本案につき判断した原判決は結局失当に帰し、破棄を免れない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇八条、九六条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判官 大塚喜一郎 栗本一夫 木下忠良 塚本重頼 塩野宜慶)

上告理由

原判決は、判決理由文中に重大な齟齬があることから、民事訴訟法第三九五条第一項六に該当し、無効である。また憲法第一四条第一項、第一五条第一項、第三項、第四四条但し書などの文言、さらには同第四三条第一項の文言の解釈に誤りがあることなどからして違憲である。詳細は以下のとおり。

一 原判決文には、判決の極め手となつた投票価値の偏差値の認識に誤りがあり、そのため判決理由文に重大な齟齬を来している。因つて原判決は、他の理由によるまでもなく、無効である。

原判決は、昭和五三年九月一一日言渡した判決理由文に「明白な誤謬」を認め、同年九月一三日付で更正決定を行つた。すなわちその内容は「昭和五三年九月一一日言渡した判決理由中、二八丁裏八行目の『三〇四、八二四人』を『二〇四、八二四人』と、同九行目の『一〇二・〇一二三パーセント』を『一五一・八一七パーセント』と、同一〇行目の『一・〇二人』を『一・五二人』と、二九丁表二行目の『保証』を『保障』と同八行目の『一一九、九三六、八九四人』を『一一一、九三六、八九四人』と、それぞれ更正する。」である。

その更正の結果、原判決文二八丁裏一〇行目~二九丁表三行目は「右によると千葉県第四区においては一・五二人の選挙人によつて、全国の選挙人の平均一人分の選挙権を行使することができるのであつて、ほぼ全国平均の選挙権の行使が保障されているのであつて、憲法違反の問題は生ずる余地はない。」(傍線部分が更正か所)との記述となつた

以上の数字の更正の結果生じた第一の齟齬は、「一・五二人の選挙人によつて……ほぼ全国平均の選挙権の行使が保障されている……」という記述にある。更正前は「一・〇二人の選挙人によつて」であつたからこそ「ほぼ全国平均」という記述になりえたはずであるのに、一・〇二人を一・五二に更正の後も「ほぼ全国平均」というのは明らかに認識を誤つている。

また、原判決は、二七丁表一~四行において、「一部選挙区(たとえば一般に過疎地域に属するとみられる兵庫県第五区)において、人口数と議員定数の配分との比率が全国の平均的なものよりも著しく大なるものがあつても」と記述している。

ところで、全国議員一人当り平均人口からの偏差値であるが、昭和四五年国勢調査にもとづく全国平均は二〇四、八二四人で、これを指数一〇〇とした場合の兵庫県第五区の議員一人当り人口は五五・〇二(議員定数三、人口三三八、一〇五人、議員一人当り人口一一二、七〇二人)、他方、千葉県第四区のそれは一五一・八二である。したがつて、兵庫県第五区の全国平均からの偏差値は四四・九八、千葉県第四区のそれは五一・八二である。

とすると原判決は、全国平均からの四四・九八の偏差を「著しく大」と一方で認識しながら、他方では五一・八二の偏差がありながらそれを「ほぼ全国平均」と述べ、全国平均からの偏差がほとんどないと認識するという明らかな矛盾をおかしているのである。

さらに、全国平均からの偏差四四・九八を「著しく大」と認識するならば、昭和五〇年の国勢調査にもとづく全国議員一人当り平均人口を一〇〇とした場合の千葉県第四区の議員一人当り平均人口の一八八の偏差八八は「著しく大」である以上に大であるはずである。しかるに原判決は、それを大であるとは認めず、合憲と判断してしまつているのである。

以上のとおり原判決は、更正を行つた数字と、その前後の記述に明らかに著しい齟齬があり、そうした齟齬の上に合憲の判断が出されている以上、無効である。

二 原判決は、それが導き出される過程に著しい恣意が存する点からしても適正な釈明権の行使がなされておらず、民事訴訟法第一二七条に違反し破棄されるべきである。

原告らと被告らとの間の中心的争点は、昭和五〇年法第六三号による改正が、改正前に存在した議員定数不均衡の違憲性(被告の把握では「仮に改正前の定数の不均衡にして違憲性を帯びるものがあつたとしても」)を解消させたか否かにあつた。

原告らは、この点について、昭和五三年四月一七日付準備書面(二)において、定数の是正を、総定員の減員是正を行わず、増員一本で行うという改正の仕方に基本的問題点があり、各政党間の利害得失の判断の下に二〇名の定数増を行つたもので、有権者の投票権の平等を第一義的に配慮したものではないことを指摘した。

被告は、この点について、昭和五二年四月二七日付準備書面(一)で、自治省選挙部編「改正公職選挙法解説」(昭和五〇年)の内容を要約して述べたのみで、原告らの主張に何ら反論しなかつた。

原判決は、この争点につき全く判断を回避し、何らの見解を述べていない。この点で原判決は争点の所在についての認識を誤つたのである。そして驚くべきことに、原告、被告の双方が全く主張しなかつた過密・過疎の議論を突如もち出し、その問題についての原告、被告双方の意見を聴しないまま恣意的に判断を下したのである。

三 原判決は、投票価値の平等が法的利益の平等であることを正しく認識せず、法律論と政策論とを混同し、憲法第一四条第一項、第一五条第一項、第三項、第四四条但し書などの解釈を誤つている。

すなわち、憲法は、第一四条第一項において、すべて国民は法の下に平等であると定め、一般的に平等の原理を宣明するとともに、政治の領域におけるその適用として、選挙権について第一五条第一項、第三項および第四四条但し書の規定を設けている。

これらの規定は、単に選挙人の資格における差別の禁止を定めているだけでなく、選挙権の内容すなわち各選挙人の投票の価値の平等もまた要求しているのである。つまり、一人一票制の原則は、計算価値の均等だけでなく、結果価値の均等をも意味しており、一人に二票以上を与える結果となる投票価値の不均衡は、上述の憲法の諸規定に反することになるのである。

原告らは、これらの憲法上の規定の保障にもとづき、投票価値の平等という法的利益の均等を求めたのである。

しかるに原判決は、過密・過疎という政治の結果がもたらした経済的・文化的利益の平等化に中心的視点をおき、それと投票価値の平等とを結びつけることによつて、事実上の利益と法的利益とを混同する誤りをおかしている。

また、仮に過密・過疎の議論が許されるとしても、政治の結果による事実上の利益・不利益は無限に近くあり、具体的な利益・不利益を取り上げ、すべてを総合化した利益・不利益は、過疎・過密のどちらの地域にあるか判断できるものではないのである。

四 原判決は、憲法第四三条第一項「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」の規定にもとづく、議員の「国民代表」の原理に背反し、議員を地域利益の代表とみなす誤りをおかしている。すなわち、原判決は「過疎地域における経済的・文化的等の魅力を増大させこれを実現するためには、一きわ大きな政治的影響力の可能性を持つことが当該過疎地域の住民にとつて必要である。すなわち、選挙における投票の価値が大きくなつてはじめてその政治力に大きく影響する可能性を有するのである。」と述べ、人口数に対する議員定数の不均衡を是認、否むしろ奨励する立場をとつているが、この考え方は、明らかに議員を出身選挙区の代表とみなしているもので、憲法第四三条第一項の規定に反している。

五 憲法第一三条、第一四条第一項、第四三条第一項、第四四条但し書などの規定からして、議員定数は人口数により決定すべきであり、その他の要素は、人口比の原則を侵すだけの価値をもちえないのに、原判決は、地域の事情を決定の重要な基礎としている点で誤つている。

近代民主主義国家構成の基本原理は、人間個人の同質性・平等性を基本とした個人主義の原理であり、憲法第一三条の「すべて国民は個人として尊重される」、および第一四条第一項の「すべて国民は法の下に平等」はそれを表わしている。

そして、普通、平等、直接、秘密の選挙の四大原則は、そうした近代民主制の下での個人人格主義の具体化である。こうして対等・同質な個個人の総体を代表する者として国会議員が位置づけられている(憲法第四三条第一項)。

選挙権の平等に含まれる投票の結果価値の平等が、個人の頭数である人口を基準として考えられるべき理由の根本はそこにあり、議員定数を定める場合、人口以外の要素は、人口比例の原則を侵すだけの価値を持ちえないのである。

原判決は、その点において、憲法や選挙制度を貫く個人主義的人間中心主義に反する考え方に立つている。

また、主権の創出過程からとらえるならば、人は、社会や国家を形成するために、自由な認識や意思決定や行動のできる分の一部を、相互の契約にもとづいて、等しく社会、国家に供出し、その結果主権が生み出されると仮定・擬制されている。人々の自由は供出した分だけ減少し、契約者は制約を受けるのである。

そして、主権の帰属を一人に定めれば、君主主権であり、主権の行使、つまりその具体化としての法の定立、執行、適用は、帰属者自身あるいはその代理人によるが、その帰属主体が国民総体という抽象的・観念的存在である国民主権の下では、そのような架空の観念的存在は、主権の具体化である法の定立、執行、適用は現実にはできない。そこで生身の人間に主権を行使させざるをえないため、主権の帰属と行使を一致させる便法として供出した分を等しくいつたん契約者に戻し、主権の行使者を必然的に選定せざるをえないのである。この概念が選挙という権利であり、主権の具体化したものである。

現行の選挙制度のなかでは、便宜上選挙区を設け、議員の数を分配させざるをえないのであるが、上述の原理の本質からすると、どの選挙権者にも、投票における計算価値の均等すなわち一人一票制の原則が適用されるだけでなく、各選挙区間で人口数対議員の配分数は当然同じでなければならない。居住場所を異にすることによつて自由の供出分すなわち選挙権の量を異にしてはならないのである。

結局、計算価値と結果価値の均等を含めた原則が複数選挙禁止の原則であり、また自然法思想を内奥に秘めた現行憲法第一四条第一項の概念でもある。

したがつて、原判決の引用する最高裁判所昭和五一年四月一四日判決(昭和四九年(行ツ)第七五号)は、憲法第一四条第一項の「平等」という文言の内に、「極めて多種多様で、複雑微妙な政策的及び技術的考慮要素」をとり込み、法の認識をしているが、法の定立者ではない裁判所が司法審査外にある範疇を法として定立しているのは誤りである。

定数配分案を作成する際に、その担当者あるいは法定立者は、選挙区画を基準として、行政区画を設けると同時に他の諸要素を多少は実際上斟酌するかもしれぬが、それらの要素は、単なる法の執行に伴う事実上の要素に過ぎず、法の認識・適用を職分とする裁判所の埒外にある。

したがつて、主権の創出原理からは格差があつてはならず、一対一をこえた場合には、その理論の当然の帰結として違法性の推定という原理が導き出され、その格差が、選挙区画に定員を配分する法技術上やむをえない限度であり、また法認できる許容内にあると被告が検証した場合に、憲法第一四条第一項に内包まれている合理的な差別が是認されるに過ぎないのである。

その点で、昭和五〇年法第六三号による改正は、それまで存在した違憲状態を解消させる改正となつておらず、また昭和五一年十二月五日施行の総選挙時の投票価値の格差も違憲である。

六 原判決は、投票価値の格差測定の基準として、全国平均値からの偏りという尺度を用いているが、この尺度は選挙人の間の「差別」を考える基準として妥当だとはいえず、最高裁判所昭和五一年四月一四日判決(昭和四九年(行ツ)第七五号)における基準と異なり、憲法第一四条第一項、第一五条第一項、第三項および第四四条但し書などの要求するところに違反している。

差別という場合、それは、ある具体的個人(ないしはグループ)と他の個人(ないしはグループ)との間の問題であつて、ある具体的個人(ないしはグループ)と抽象的平均との比較ではない。したがつて、最高裁判所昭和五一年四月一四日判決が採用した尺度どおり、投票価値の最大と最小の格差を以て測るのが妥当なのである。もし全国平均値からの偏りで差別を測るとなると、その平均値に近い選挙区の住民は投票価値に関して差別されていないことになるが、果たしてその住民は、投票価値が大きい選挙区の住民にくらべて差別されていないといえるであろうか。

また、原判決の考えでは、人口過密地域の投票価値は小さくともよいということになるが、その趣旨に反する選挙区も実在する。例えば、昭和五一年総選挙時の偏差では、全国平均を一とした場合、人口過密の東京第八区は〇・八三、京都第一区も〇・九一と、平均より投票価値が大きい選挙区になつているのであつて、原判決の趣旨に反していることになるのである。

七 判決原本に収められている(当事者の主張)のうち、(原告ら)の(請求の原因)の部分は、原告らの主張のごく一部に過ぎない。すなわち、昭和五二年七月十三日付の「準備書面(一)」および昭和五三年四月一七日付の「準備書面(二)」における原告らの主張は、ほとんど無視され、収められていない。ところが一方、被告の主張はそのほとんどすべてが判決原本に収められている。こうした不平等な取扱いは、判決の公正性を疑わしめるものである。

最高裁判所においては、原告らの主張のすべてに対し耳を傾けられるよう取計られたい。

八 以上の理由により原判決は、無効、違憲であるので、破棄を求める。

答弁書

(昭和五三年(行ツ)第一四七号 昭和五四年一〇月三一日付け)

上告人らは、本訴において、昭和五一年一二月五日に施行された干葉県第四区における衆議院議員選挙を無効とする判決を求めている。

しかしながら、右選挙は総選挙として行われたものであるところ、昭和五四年九月七日衆議院は解散され、これによつて右昭和五一年一二月五日施行の総選挙による効力はすべて将来に向かつて失われた。

したがつて、上告人らは右選挙無効の判決を求める法律上の利益を失つたことが明らかであるから、原判決を破棄し、更に相当な裁判を求める。

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